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イスラエル社会に進出アラブ人の『第3世代』2018.10.3

薬剤師のディアナさんには喫茶店のオーナーと言う一面も。

(kan.org.ilより)

近年イスラエルでは高等教育を受け、イスラエル社会で活躍するアラブ人の割合が増えています。この傾向は医療関連の分野において特に強く、現在国内に5つある国立大医学部におけるアラブ人生徒の割合は(イスラエルにおけるアラブ人口とほぼ同じ)約2割に、そして看護学部や薬剤学部ではアラブ人生徒が3割近くを占めています。大学全体を見ても2010年代でアラブ人学生の数は2倍になっており、一昔前とは違いアラブ人学生はもちろんのこと「アラブ人女性の大学生」というのも一般化してきました。
そんななか、イスラエル国営放送「カン」が面白い特集を組んでいました。


その特集ではイスラエル社会で頑張る数人のアラブ系市民がフューチャーされていました。まずは薬剤学を学び現在ドラッグストアで働く、31歳のディアナ・カセム=ナサルさん。彼女はカンの取材にこう答えていました。
「現在、イスラエルで働く薬剤師の4割が私たちのようなアラブ人です。私の職場でも何人かのアラブ人薬剤師が働いていて、最初はユダヤ人の患者から偏見や抵抗感を感じるようなこともありました。しかし最近では薬の話だけでなく、私と立ち話をするユダヤ人も増えてきたんです。病院でもアラブ人医師が普通になり、医療の場に多くのアラブ人が居る事にイスラエル社会が慣れてきたのだと思います」
ディアナさんのように高等教育を受けてイスラエル社会に積極的に出ていく若者たちは、今『第3世代』と呼ばれています。彼らの持つ特徴はイスラエル建国後に生まれ育ち、親たちの世代とは全く違う価値観やアイデンティティーを持っている点です。そんなジェネレーションギャップについて、テクニオン(イスラエル工科大)でコンピュータ工学を学ぶ24歳のファトマ・ハサンさんはこう話してくれました。
「親の世代と私たちには決定的な違いがあります。両親の世代では情報が少なく、様々な未知の分野に触れるという事がありませんでした。それにアラブ人の誰かがイスラエルの社会で成功したという話を耳にすることも全くなかったのです。しかし私たちは女性であっても、若い頃から将来何になりたくてそのためにどこに進学しようかという、自己実現について考え、友人たちと共有しながら育ってきました。一世代前の会話と言えば、いつ・誰と結婚し子供をどう育てるかだったのですから大きな違いです。医療に比べれば少ないですが、最近はエンジニアを学ぶアラブ人学生も増え、私のような女性の学生も出ててきました。」


コンピュータ工学を学ぶファトマさんは、世界に誇るイスラエルのスタートアップの将来を担う。

(kan.org.ilより)

ファトマさんの母親の話によると、彼女が若い頃は女性が一人でユダヤ人の住んでいる地区やユダヤ人が経営している店に行くことすら、タブー視されるような時代でした。ユダヤ人が居る場所は「別世界」であり、外の世界と触れる際には父親や夫の監督が必要だったのです。そして女性が学問の道に進むことも考えられませんでした。当時、女性が高等教育を受けると言えば、専門学校の教育学部に進むという道以外なかったのです。高校を卒業したアラブ人女性の前にある選択肢は2つ― 専門学校で教育を学び学校の先生になるか、家庭に入るかでした。


そんな中、やはりここ20年ほどの科学技術の目覚ましい進歩が、第3世代を生きるアラブの若者の生き方を大きく変えているようです。「インターネットの普及が、多くのアラブ人女性に外の世界を見、勇気を持って出ていく事を可能にしました」とファトマさん。ちなみにファトマさん一家は敬虔なイスラム教徒で、彼女自身もヒジャブを被っています。弟のムハンマドさんによると、そんな新時代の背景には新しい時代に合わせたイスラム教のちょっとした変化もあるようです。
「神が最初に預言者ムハンマドに啓示として与えられた言葉は、『イクラ=読め』です。創造された主の御名においてこれを読め、と言う一文から啓示は始まります。私たちの宗教において読む・学ぶという事には重要な価値があり、技術や化学と信仰心との間に衝突や矛盾を感じる必要はないのです」
このようなモダニズムとの共存を標榜する進歩的な宗教的解釈が若者の間では広がり、多くの敬虔なイスラム教徒の若者たちもアラブ人社会に閉じこもらず、高等教育を受けイスラエル社会へと羽ばたき始めているとアラブ人識者たちは指摘しています。


さてこの第3世代の間で起こる高等教育の波ですが、このきっかけは1980年代初めにアラブ系遊牧民「ベドウィン」の集落で起きた小さな出来事だったと特集では紹介されています。当時ベドウィンの氏族をまとめていたシェイク(長老)たちが一堂に会し、若い女性の教育に関して取り決めようという事になったのです。その会合では、「女性の教育は8年間(日本の中2)までにする」という決定が下されました。しかしそこで1人のシェイク、アベド・エルカリム・サルマン・サーナが反発し退席、その後自身の長女バスマさんをイスラエルの高校に入学させたのです。当初は他のベドウィン部族はもちろん親戚からも後ろ指を指されたのですが、そこから徐々に女性に教育を受けさせようという家庭が増えはじめ、イスラエルのアラブ人コミュニティー全体に波及するように広がっていきました。シェイクは会合を退席する際「30・40年もすれば私の選んだ道が正しかったと知るだろう」と言ったのですが、実際にシェイクの言葉通りになったのです。


シェイクさん(左端)一家。中央に座るのが長女のバスマさん。この小さな家庭から第3世代の波は始まった。

(kan.org.ilより)

さて、カンの特集では上記のようなアラブ人側の意識変化のみにフォーカスが当てられていましたが、この背景にはイスラエル政府の方針も大きい事も忘れてはいけません。
特に教育省は、このアラブ人社会内で高等教育を普及・促進するため国家プロジェクトを積極的に進めています。2010年代からは、成績優秀なアラブ人生徒とその家族に対して教育省の専門スタッフがカウンセリングやアドバイス、また補習授業を行うなどのサポート制度が充実し、より多くのアラブ人の若者たちがスムーズに高等教育を受けられるようになりました。またイスラエルには大学と連携した特別コースが優秀な生徒を対象にあるのですが、そのアラビア語コースやアラブ人向けの(大学前の)予科課程がさらに整備され、家庭状況に応じて授業金免除や奨学金制度などの整備も近年進んでいます。これらのプロジェクトには5年間で計300億円以上の予算が投入され、教育省の主要なアジェンダになっています。
また筆者が学ぶエルサレムのヘブライ大学でも、2008年にアラブ人生徒へ平等機会を与える事を目的とした特別部署が設立し、10年間にわたりヘブライ語の補習やカウンセリング・アドバイス、ワークショップや就職活動支援などが行われています。この10年でのアラブ人生徒が倍増している事実は統計学上の単なる数字ではなく、多くの学生や大学関係者が体感しているイスラエル社会の現実なのです。それと比例するように、ユダヤ人の間でアラブ人やアラブ世界への関心も高まっています。中東学を専攻しアラビア語を学ぶユダヤ人学生が近年増えているのはそれを示す興味深い現象で、筆者の友人の周りにも中東学のユダヤ人生徒が何人もいますし、そのうちの何人かは仲の良いアラブ人学生と言語交換を行っています。アラブ人学生がアラビア語とイスラム教のコースでユダヤ人学生をサポートし、ヘブライ語で書かなければいけない大学への提出物や試験などではユダヤ人がサポートするのです。
こんなユダヤ人とアラブ人が助け合う姿は、イスラエルの未来像を暗示しているのかも知れません。


イスラエル社会で学位を修め、就職し、社会的に成功する―
少し前までは想像すらできなかったことが、今の若者たちの間では「常識」になりつつあります。ある統計によるとユダヤ人医師は海外に職場を求める傾向が強いため、あと20-30年の間にイスラエルの半数の医師がアラブ人になるのでは、とも言われています。2018年、イスラエル社会では少しずつではありますが、本当の意味でのユダヤ人とアラブ人の共存が着実に進んでいるのです。


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。



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