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聖書が分かると、エルサレムは面白くなる ① 2019.3.9

エルサレム鳥瞰写真

nytimes.com より)

ガイドの国家資格は未取得の筆者ですが、現地に10年間住んでおりヘブライ大学で考古学を専攻していたこともあり、エルサレム案内を依頼されることが時々あります。クリスチャンを案内する時もあればそうでない時もあるのですが、案内を終えるとよく言われる個人的に嬉しい一言が、「何千年も前に書かれた聖書がまだまだ生きているのですね」という言葉。

私がクリスチャンであることは横に置いたとしても、やはり聖書抜きにエルサレムは語れません。クリスチャンではない方には、「神道・仏教を抜きに京都観光はできないのと同じなのです」と案内する前に言うことにしています。ただ聖書が少しでも分かると、エルサレムという街をより深く楽しめるのは、変えようのない事実です。

これからバラガンコラムでは2回に分け、「エルサレムと聖書の切っても切れない関係」というテーマについて、実体験も交えながら分かりやすくお話しできたらと思います。

宮殿からエルサレムの街を眺めるダビデ王(10年前にエルサレムでダビデの宮殿が発見された)

第1回:聖書におけるエルサレム

エルサレム(ירושלים)は聖書で最も登場する地名で、「エルサレム」という名前では815回、そして「シオン」などの別名を入れると1000回以上登場します。これだけでも聖書とエルサレムの関係の深さが分かると思うのですが、このエルサレムという名前はエル(ירו)とサレム(שלם)の2つに分けることが出来ます。エルは町や礎を、そしてサレムは(カナンびとの神シャリムを起源にはしていますが)平和を意味しており、一般的には「平和の町」や「平和の礎」を意味していると考えられています。イスラエルの都としてのエルサレムは紀元前1000年前後にダビデ王によって建てられ、(国際社会ではテル・アビブが首都ですが)現在でも大部分のユダヤ人は「私たちユダヤ人にとっての唯一の首都」と考えており、「ダビデの都/町」の名で親しまれています。

そんなエルサレムに関してダビデ王は興味深い歌を聖書に残しています。

  エルサレムのために平安を祈れ― (詩編122:6)


何気ない言葉ですが、時代背景を考えると少し奇妙な言葉です。3000年前にダビデ王は都エルサレムを中心にイスラエルの統一王朝を築き、当時のイスラエル王国の領地は現代イスラエル国家のそれよりもはるかに大きく、栄華を極めていました。エルサレムは「歴史上最も平安な状態」だった訳です。それなのに軍人であり優れた歌人でもあったダビデは、エルサレムの平和のために祈れという詩を残しているのです。

もしかしたらダビデは未来を暗示するように、この言葉を残したのかも知れません。イスラエルの地はエジプトとメソポタミアという2つの巨大文明の狭間に位置しており、イスラエルという国ができる前も両帝国のいざこざや戦争が起こっていました。そんな地理的・歴史的な背景を考えると、歴史に振り回されるのはエルサレムに与えられた性でありダビデはそれを予知して「エルサレムの平和のために…」と歌ったのかも知れません。

エルサレムを包囲し、イスラム帝国から奪還する十字軍

The Bridgeman Art Library 蔵

事実、ダビデ王から400年が経った紀元前6世紀、そしてその後再び西暦70年にエルサレムは陥落。ユダヤ人はエルサレムから追い出されたのですが、エルサレムの運命が変わることはありませんでした。ユダヤ教からキリスト教が派生し中世にはイスラム教が生まれると、キリスト教とイスラム教が新たなエルサレム市民となるべく、聖地の利権争いが生まれました。世界史の授業で習った十字軍やイスラムの英雄サラディンなども、このエルサレムが歴史の舞台の中心でした。そして1948年には現代イスラエルが建国し、67年以降エルサレムはパレスチナ・イスラエル紛争におけるもっとも解決困難な問題となっています。

こんな事を考えるとエルサレムは『歴史に最も翻弄された、そして現在も翻弄されている町』と言う事ができるのではないでしょうか。そんなエルサレムの運命をダビデがどこまで理解していたかは分かりませんが、「エルサレムの平和のために祈れ」という言葉は3000年間一度も死語にはなっていないという事は言えるでしょう。

そしてそんなダビデの精神を今も受け継ぎ、現在でも多くのリーダーが「エルサレムの平和のために」働き続けているのも事実です。歴代の米大統領の外交方針では中東和平へのスタンスが大きな比重を占めていましたし、トランプ現大統領がいずれ発表するであろうパレスチナ問題に関する「世紀の取り引き」にも世界中からの注目が集まっています。国連をはじめ国際社会も(どれだけ本気かは別として)、世界平和のためにはエルサレムが平和になる事が不可欠でありそれを願っている、という点に関しては皆が一致し各々がそのために活動しているのです。


エルサレムを首都と承認したトランプ大統領だが、自身の「世紀の取り引き」についてはまだ公表していない。

(haaretz.comより)

平和の礎というエルサレムの意味は確かに皮肉に聞こえます。しかしエルサレム問題が世界中で最も「厄介な問題」と考えられている現状を考慮すると、「エルサレムが平和になった時に、初めて世界平和が可能になる」とも言い換えられます。エルサレムは平和の礎である、というのはあながち間違っていないのかも知れません。

筆者は東エルサレムというユダヤ人とアラブ人が共存している地域に住んでおり、日常的に両者と触れ合うのですが、「エルサレムの平和を望み、祈っているか」と聞いてノーと答える人はまずいません。ユダヤ人側だけに限っても、現在イスラエルでは総選挙が迫っており、エルサレムを分割する・しないがいずれ選挙戦の争点になってくるでしょう。しかし右派・左派にかかわらず、「エルサレムに平和を」というダビデの精神には賛同しそれぞれの形で政治という手段のもと具現化しようとしているようにも見えます。


やはりダビデの残した「エルサレムの平和のために祈れ」という言葉は、今もエルサレムに息づいているようです。

次のコラムでは、実際にエルサレムで見聞きし感じた「聖書とエルサレムの関係」について紹介します。




シオンとの架け橋の母体である単立教会「聖書研究会」は、クリスチャンではないが聖書について学びたい方々のため「レッツ・バイブル」を京都で行っています。)


「バラガン」とはごちゃごちゃや散らかったという意味のイスラエルで最もポピュラーなスラングです。ここでは現地在住7年のシオンとの架け橋スタッフが、様々な分野での最新イスラエル・トピックをお届けします。



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