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イスラエルについて

4000年の歴史

ガザ対イスラエル

2007年6月

ハマスがガザで自治警察を含むファタハ系勢力を制圧し、実効支配体制を確立。ファタハは西岸地区の支配権を奪われないよう、西岸地区内のハマス弾圧を強化しました。 西岸地区はファタハ支配、ガザはハマス支配という体制が確立しました。 両者の激しい対立で、パレスチナ国家とイスラエルの共存という中東和平の枠組みは崩れてしまいました。
また、イスラエルを武力で滅ぼすことを組織の綱領として掲げるハマス政権への支援はできないとして、欧米諸国からのガザ支援が凍結されたため、ガザの一般民衆の生活・経済悪化が深刻化しました。

2008年12月〜2009年1月 ガザ戦争

ハマスはエジプトとの間に多数の武器密輸トンネルを掘り、大量の武器を搬入。 イスラエルに向けて執拗なロケット攻撃を行いました。 2008年6月には半年間の停戦合意ができましたが、12月に停戦期間が終わると、ハマスは停戦を破棄して、毎日数十発のロケット砲撃を行なったため、年末から年始にかけてイスラエルはガザに本格的な攻撃を行いました。 この戦争では、ハマスは軍事的にはほぼ完敗、しかもハマスは民間人や民間施設を盾にして戦ったため、ガザ地区の被害は甚大で、1400人程度の死者が出たと言われます。 しかし、このうち「民間人」の死者がどの程度だったかについて、双方の見解は一致していません。 いずれにしても、多数の一般住民の命が失われたことは確かなので、世界中からイスラエルに対する非難の声が上がりました。 2009年1月末に停戦が成立しましたが、その後もガザからイスラエルに向けてのロケット攻撃が続きました。

2011年10月 誘拐されていた兵士の解放

2006年6月にハマス系武装勢力に誘拐されていたシャリート兵士の解放交渉は何度か合意に至りそうになっては決裂しましたが、最終的に2011年10月、5年以上を経て合意。イスラエルは1人の兵士と引き換えに1000人の囚人を釈放しました。

2012年11月 雲の柱作戦

ハマス傘下の武装勢力は、イスラエルに対する砲撃を強化し、イスラエルも反撃を行なって来ましたが、ガザの武装勢力はガザ周辺をパトロール中の国防軍のジープを対戦車砲で攻撃。兵士が重軽傷を負いました。その後、武装勢力は多数のロケット砲を一斉に発射。国防軍は大規模な攻撃(雲の柱作戦)を行い、ハマスの武装部幹部のジャバリを殺害しました。交戦は8日間にわたって続き、ガザから撃たれたロケット砲は数百発、イラン製と見られる一部のミサイルは、エルサレムとテルアビブにも到達しました。イスラエル側の死者は5人、ガザ側の死者は140人でしたが、ハマスは「勝利」を宣言しました。
この戦争では、イスラエルが開発した「アイアンドーム」(鉄のドーム)というミサイル迎撃システムが驚異的な成功率でハマスのミサイルを迎撃したため、イスラエル側の被害は非常に少なくなりました。

2012年11月末 パレスチナ国家を国連で承認

自治政府のアッバス議長は、イスラエルとの交渉無しに一方的に「国家」として国際社会に認めさせるため、国連での地位を「オブザーバー機関」から「オブザーバー国家」に格上げすることを申請。国連本会議で圧倒的多数の支持を受けて認められました。 パレスチナは1967年の境界線をもとに国家を申請したため、逆に言えばイスラエルが支配するハイファやテルアビブを「奪還」する権利は放棄したことになりますが、ハマスはそれを認めず、武力でイスラエル全土(全パレスチナ)を解放することを目指しています。

2013〜14年 エジプトでの政変とパレスチナ

2011年のアラブの春後エジプトではモルシ大統領率いるムスリム同胞団が政権を握っていましたが、2013年夏にふたたび政変が起こり同胞団が失脚、新しくシシ政権が発足されました。この政変により同胞団を母体とするハマスは、突然エジプト政府の敵となってしまったのです。新エジプト軍はすぐさまガザ・エジプト間の密輸トンネルを破壊、エジプトからの密輸に依存していたガザ経済は危機に瀕しました。この経済危機がハマスの西岸地区側への態度を軟化させ、2014年6月にはハマス(ガザ)とファタハ(西岸地区)の暫定統一政府が発足されました。しかし統一政府もかたちだけに過ぎず、ガザ経済の危機的状況はその後も続きガザでの内部抗争も起こり始めます。またイスラエルは、テロ組織であるハマスと統一政府を発足させたファタハに対し激しく反発、前年に再開していた和平交渉も暗礁に乗り上げました。このような背景からガザ内では反イスラエルの機運が高まり、ガザからイスラエルへのロケット攻撃は激しさを増していきました。

2014年7〜8月「不動の絶壁作戦」

イスラエル国防軍が発見したハマスの密輸トンネル wikipediaより

そんななか6月、イスラエル人の若者3人がハマス系パレスチナ人により西岸地区で誘拐されると、ガザからのロケット攻撃とそれに報復するイスラエル軍の攻撃と武力衝突が頻発し始めました。7月初めにはガザからのロケット攻撃が1日に50発を超え、ついにイスラエルは「不動の絶壁作戦(英語では:境界防衛作戦)」を開始しました。この作戦は50日間にも及び、ガザから撃たれたロケット砲約4500発がテル・アビブやエルサレムを含む広範囲に着弾しましたが、居住区に着弾したのがたった64発だったのは前作戦から使用されたミサイル迎撃システム「アイアンドーム」が機能したからに他なりません。この作戦では地上戦も行われガザからのほぼすべての密輸トンネルが破壊され、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)からの資材がハマスにより密輸トンネル建設に転用されていた事なども発覚しました。

作戦期間中のイスラエル人死者は72名、パレスチナ側は2203名でしたが前回同様ハマスは勝利宣言を行いました。 (ちなみにパレスチナ側の死者には「イスラエルに協力した容疑」でハマスによって処刑されたパレスチナ人数十人も含まれています。)

2015年秋〜 テロの波

去年の作戦後、ガザからのロケット砲の数は大きく減ってガザ・イスラエル間では小康状態が1年以上続いています。しかしエルサレムを中心に2015年後半はテロや衝突が多発しており、イスラエルメディアでは「第3次インティファーダ」とも報じられています。夏頃から神殿の丘でのパレスチナ人による暴動が頻発し、9月には武装した過激派がアル・アクサモスクに立て籠もりイスラエル警察との武力衝突が神殿の丘内で起こりました。その後2月半の間に、投石や襲撃、車両の突進や乱射など計136件のテロがエルサレム周辺を中心に起こりイスラエルの一般市民21名が死亡252人が負傷しています。(11月22日現在)

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