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パレスチナ人
Palestinians イスラエル独立前からパレスチナに居住していたアラブ民族。パレスチナ人が旧約聖書に出てくる「ペリシテ人」の子孫との説が有るが、一般的には認められていない。
PLO
パレスチナ解放機構。当初はアラブ諸国が結成したが、後にアラファト議長によりパレスチナ人主体の組織となり、現在の自治政府を組織している。アブ・ディス Abu
Dis エルサレム近郊のパレスチナ人の町。現在B地区になっており、パレスチナ自治政府関連の庁舎が90年代から数多く建てられた。2000年代前半に分離壁が建設されると、町とエルサレム間の往来が少なくなっていった。イドリス
パレスチナ人として最初の女性自爆テロリスト。2002年にエルサレムで自爆した。カハ
Kach ユダヤ人過激派で、パレスチナ人へのテロ行為を支持する団体。マクペラの洞窟でテロを行った、ゴールドスタインもカハのメンバー。シャリート
2006年6月にガザで誘拐された国防軍兵士。約5年にも及ぶ交渉の末、2011年10月に解放されたがイスラエル側は引き換えに1027人のパレスチナ人テロリストや政治犯などを釈放したため、国内でも賛否両論を呼ぶ議論となった。自治警察
パレスチナ人自治の発足と同時に設置された。多くの武器を与えられ、テロ組織を取り締まる任務を与えられたが、2007年、ガザではハマスに敗北し支配権を奪われた。少数民族
イスラエル人、パレスチナ人がイスラエル人口の大半を占めるが、他にベドウィン、チェルケス、ドルーズ人、また、ユダヤ系のサマリア人、カライ派などがいる。スンニ派
スンナ派 Sunni イスラム教の90%を占める最大の宗派。シーア派とは違い、イスラム世界の指導者は必ずしも世襲される必要はないと考えている。エジプト、サウジアラビアなど、いわゆる穏健派諸国はスンニ派で実はパレスチナ人もスンニ派が大半となっている。ナクバ
Al-Nakba 破局、破滅の意 イスラエル独立戦争の開始をパレスチナ人が指して言う言葉。ユダヤ人はユダヤ暦により記念するが、パレスチナ人は西暦により5月15日に抗議行動を行う。そのため、独立記念日とは日が異なる。東エルサレム
旧市街を含むエルサレムの東にあるアラブ人地区のこと。この地域に住むパレスチナ人は、イスラエル国籍は無いものの、イスラエル国民と同等の社会福祉や行動の自由が与えられている。ヘブロン
Hebron エルサレムから南に30キロばかりの所にある町。アブラハムなど父祖たちの墓「マクペラの洞窟:Cape of Macpellah 」がある。大部分の住民(16万人)はパレスチナ人だがユダヤ人入植者も約750人ほどいる。ベイト・ジャラ
ベツレヘム近郊の村。パレスチナ人地区(A地区)にあたる。2000年秋からの紛争でエルサレムのギロ地区に対する銃撃拠点に使われたため、反撃砲火を受け多数の死傷者が出た。同村はクリスチャンの村だが、攻撃を行ったのは外部の人間。ユダヤとサマリヤ
Judea and Samaria 現在の西岸地区に当たる。旧約聖書の舞台となったこの地区に住もうとして入植する人々と、それを推進する政策によりパレスチナ人との間で紛争が起こっている。ちなみに、現在のイスラエルは、大半が聖書時代のペリシテ人の居住地に当たる。
【年表】
1969年 カイロ秘密協定。パレスチナ人は南部レバノンからの対イスラエル作戦を認められる(2月)。
1970年 パレスチナ人が連続航空機乗つ取り(9月)
1970年 ヨルダン王国軍が、パレスチナ人を攻撃。「黒い9月」事件。2年でパレスチナ人部隊はヨルダンから追放される。
1974年 ラバトでアラブ首脳会議、PLOをパレスチナ人民の唯1正当な代表と認める(10月)
1974年 国連総会がパレスチナ人の民族自決権を認め、PLOに国連オブザーバーの資格を与える(2月)。
1975年 ファランジスト党(レバノンの国粋主義者)民兵がパレスチナ人のバス銃撃、レバノン内戦が始まる(4月)。
1978年 イスラエル軍、レバノン南部に侵攻、パレスチナ人部隊と激戦(3月〜6月)
1982年 イスラエル軍の西ベイルート占領下で、レバノン右派民兵がパレスチナ人を虐殺(9月)。
1988年 追放されたパレスチナ人を乗せてイスラエル上陸予定の「帰還の船」爆破される(2・15)
1990年 5月10日にテルアビブ郊外でイスラエル人青年がパレスチナ人労働者を乱射し7人が即死。これをきっかけに数日間の騒乱が続き死者20人、負傷者千人以上。
1990年 武装パレスチナ人の高速艇によるイスラエル上陸作戦、イスラエル軍に阻止される(5・30)
1990年 東エルサレムでユダヤ教徒とイスラム教徒のパレスチナ人が衝突し、22人が死亡、150人以上が負傷(10・8)国連安全保障理事会はイスラエル非難決議(10・12)
1992年 ハマスがイスラエル国境警備隊員を誘拐・殺害(12・15)イスラエルは報復として400人以上のパレスチナ人を南レバノンヘ追放(12・17)
1997年 モサド工作員がヨルダンでハマス幹部暗殺に失敗しヨルダン政府に拘束された。イスラエルは工作員の身柄と交換するためハマスの霊的指導者ヤシン師らパレスチナ人政治犯20人を釈放。(10月)
1998年 ヘブロンで国防軍兵士が発砲し、パレスチナ人3名が死亡。(3月)
1998年 パレスチナ難民発生50年を記念する「ナクバの日」に国防軍とパレスチナ人が衝突し、パレスチナ人に8名の死者。400人の負傷者が出た。(5・15)
2003年 イスラエルはパレスチナ人の政治犯やテロリストなど囚人約100人を釈放。(6.3)
2003年 イスラエル空軍がシリア南部のパレスチナ人の軍事基地を攻撃。73年のヨム・キプール戦争依頼30年ぶりにイスラエルとシリアが軍事衝突。(10.5)
2004年 拉致・殺害された国防軍兵3名の遺体と引き換えに、パレスチナ人囚人約400人とレバノン人囚人約100人が釈放されヒズボラに輸送された。(1.29)
2006年 ガザの地下トンネルを通ってイスラエル領内へ侵入した複数のパレスチナ人テロリストが戦車を攻撃し、兵士2名が死亡しギルアド・シャリート兵士が拉致される。(6.25)
2011年 イスラエル・ハマス間の大規模な人質交換が行われる。イスラエル側はギルアド・シャリート兵士と引き換えに1027人のパレスチナ人囚人を解放した。(10.18)
2014年 入植地で3人の少年がパレスチナ人テロリストにより誘拐・殺害される。(6.12)
2014年 パレスチナ人テロリスト2人が西エルサレムのシナゴグに入りユダヤ人6名を殺害。(11.18)
2016年 テル・アビブ中心部でパレスチナ人テロリストによる乱射事件が発生。3人の死者と10人の負傷者が出た。(1.1)
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