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ガザ

Gaza Strip ガザ地区/回廊などと言われる地域。もとエジプト領だったがエジプトが領有権を放棄し、将来のパレスチナ国家として自治政府の支配下に入った。イスラエルが2005年夏に入植地を全て撤去した後、ハマスの勢力が強まり、2007年夏の軍事クーデターでハマスの実効支配下に入った。人口約200万人弱。

PRC
Palestine Resistance Committe ハマス系のテロ組織で、ガザで活動している。
UNRWA
United Nations Relief Work Agency 国連の難民救援機関。パレスチナの各地で活動を行うが、この機関の施設や車をテロ組織が武力闘争に使用していると指摘されており、2014年のガザ作戦ではUNRWAからの支援物資が密輸・テロリスト侵入のためのトンネル建設に利用されている事が分かった。
アイアンドーム Iron
Dome 国防軍ラファエル社が共同開発した、ロケット弾・迫撃砲などに対する短距離弾に長けた防空システム。2011年にガザからの砲撃への対抗策として配備された。ハマス側が使用する砲撃弾の性能が比較的低いため、迎撃率は9割近くと高い成功率を誇っており、北朝鮮との緊張関係が続く韓国も購入を検討するなど世界的に注目を浴びている。
アシケロン
アシュケロン テルアビブの南、ガザの近くにある町。人口約14万人。
アシュドド
アシドド ガザに近いイスラエル南部の町。約21万人とイスラエル6番目の人口を誇り、ハイファ・エイラットと並ぶ港町でもある。
アルアクサ殉教団
Al-Aksa Martyr's Brigarde 2002年ごろから表面に出てきたファタハ系の組織で、積極的なテロ作戦で民衆の支持を集めた。2006年にハマスが総選挙で勝利するとふぁたは系のアルアクサ殉教団とハマスの間でも軍事衝突が起こった。しかし2007年に武装解除を行いイスラエルに対するテロ攻撃をやめると自治政府に伝えた。しかしガザ側の殉教団は応じずハマスとともにイスラエルに対する軍事的抗戦という立場を崩していない。
アルカイダ
オサマ・ビンラディン率いるテロリスト集団で、しばしばパレスチナ問題に言及する。ガザ地区にアルカイダ系のテロ組織が2つあるが、対イスラエルの姿勢を若干軟化させたハマスとは対立関係にあり、大きな組織は持っていないもよう。
アロー
Arrow イスラエル空軍がボーイング社と開発した弾道弾迎撃ミサイル。ただガザでの軍事作戦ではハマスはミサイルではなく低性能のロケット弾・迫撃砲を多用するため、短距離弾を砲撃するのに特化した「アイアンドーム」の方がアローよりも利用されている。
一方的分離
シャロン首相が2004年に提唱した計画。ガザ全体と西岸地区の一部の入植地を撤去して壁を建設し、自治区とイスラエル領の分離を図るという内容。入植地に固執する右派から激しい抵抗運動が起こり、5月のリクード党員投票で否決されたが、2005年夏にガザからの撤退が強行された。
オスロ合意
Oslo Agreement 1993年8月にオスロで成立した合意で。イスラエルとパレスチナが相互の存在を承認した上、ガザとエリコで暫定自治を開始し、最終地位交渉に至る道筋が定まった。
オルマート
(オルメルト)Ehud Olmert エルサレム市長からリクード議員を経てカディマに入り、シャロン氏の後を継いで首相となった。第二次レバノン戦争、2008年末からのガザ侵攻作戦を指揮した。汚職事件で2008年夏に辞任し、2015年に有罪が確定し2016年2月から18年の禁固刑に処され初めての首相経験者として収監されている。
グリーンライン
Green Line グリーン・ライン 1967年の戦争前のイスラエルの境界線。この時、ガザはエジプト領、西岸地区はヨルダン領土だった。
シャリート
2006年6月にガザで誘拐された国防軍兵士。約5年にも及ぶ交渉の末、2011年10月に解放されたがイスラエル側は引き換えに1027人のパレスチナ人テロリストや政治犯などを釈放したため、国内でも賛否両論を呼ぶ議論となった。
自治警察
パレスチナ人自治の発足と同時に設置された。多くの武器を与えられ、テロ組織を取り締まる任務を与えられたが、2007年、ガザではハマスに敗北し支配権を奪われた。
自治政府
PA Palestinian Authority パレスチナ自治政府オスロ合意にもとづく自治により設置された。統一国家としての独立を目指して法律や組織を準備していたが、2007年にパレスチナはハマスガザファタハ西岸地区に分裂した。2012年11月国連によりオブザーバー組織からオブザーバー国家に格上げされた。
スデロット
ガザに隣接する町で、ハマスからの絶え間ない砲撃で大きな被害を受けている。そのため各家や公共の場のいたるところにシェルターが設置されている。人口約2.2万人。
第三次中東戦争
1967年、アラブ諸国はイスラエル撃滅を図ったが、逆にイスラエルが西岸地区ガザゴラン攻撃などを占領した。本戦争は6日間で終結したことから「六日戦争」と呼ばれる。
撤退
イスラエルは西岸地区を占領した状態にあるため、土地の返還と言わず「撤退」という用語を使う。しかし、行政権と警察権が分かれているため、C地区B地区A地区との順序で撤退が行われる。オスロ合意以来、何度かの合意にもとづき、順次撤退が行われている。 ガザからは2005年に完全撤退が行なわれた。
入植地
Settlement 西岸地区ガザに点在するユダヤ人の居住区のこと。鉄条網で囲まれ兵士に警備されたまるで要塞のような入植地もあるが、エルサレム近郊など普通の町と変らないような地区もある。
ネツァリーム
Netzarim ガザ入植地で、パレスチナ地区の中に飛び地になっていたが、2005年夏に撤去された。
ハニエ
(ハニヤ)イスマイル・ハニエ ハマスガザ指導者でありガザ政府首相(1963年生)。2007年まではパレスチナ統一政府の首相を務めたが、2007年のハマス・ファタハの抗争により解任されガザ・ハマスの首相となった。就任時に「これ以上血を流す事は望まない」と演説するなど、ハマスの中では穏健派とされる。
ハマス
Hamas パレスチナ過激派で、武力によるイスラエル殲滅を目指している。多くのテロがハマスにより起こされた。貧民救済などの政治活動も行っている。現在は政府という立場を取っているため、近年は国際社会に向けて堂々と「イスラエル殲滅」という言葉は使わないなど軟化している部分もある。本部はガザ、ドーハの2カ所。
フィラデルフィ回廊
Philadelphi Corridor エジプトとガザ間にイスラエルが確保していた狭い区域。2005年夏の一方的分離(ガザ撤退)で放棄された。以前からエジプトとの間に武器密輸トンネルが掘られており、衝突が絶えなかったが、ガザ撤退後はトンネルが激増した。
武器密輸トンネル
ハマス政府やイスラム過激派によって建設されたガザ・イスラエル間のトンネル。2005年のガザ撤退以降に急増し、約60本ほどが通っており密輸の他にテロリストの密入国などに利用されている。2014年のガザ作戦(不動の絶壁作戦)ではUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)からの資材がトンネル建設に転用されていた事なども発覚した。
ヤシン
Yassin ハマス霊的指導者。イスラエルに拘束されていたが、捕虜交換で釈放された。ガザに在住し、ユダヤ人殲滅を叫ぶ扇動を繰り返していたが、2004年3月にイスラエルに殺害された。
ラファ
ラフィア Rafiah ガザ南端にある町。エジプトとガザを結ぶ検問所がある。エジプトに通じる地下トンネルが数多くあり、食料などの必需品や武器を密輸している。

【年表】

1980年 西岸・ガザ地区の入植地建設が本格化

1987年 交通事故をきっかけにガザでインティファーダ(武装蜂起)勃発。(12月)

1994年 アラファト議長とペレス外相は、オスロ合意にもとづき、ガザ・エリコ地区からのイスラエル軍撤退などについての合意文書に仮調印(2・9)

1994年 アラファト議長がガザ入り(7・1)

1998年 日本がガザに出張駐在官事務所を設置。(7・23)

2001年 イスラエル海軍がハイファ沖にてレバノンからガザ地区に向かっていた貨物船サントリーニ号を拿捕、大量の兵器を押収した。(5.7)

2002年 ガザ地区に住むハマス軍責任者サラ・シェハデがイスラエル軍により暗殺される。(7.22)

2004年 シナイ・ガザの国境部に駐在するエジプト兵3名がイスラエルの誤爆により死亡。シャロン首相がエジプト政府に正式に謝罪。(11.18)

2005年 ガザ地区からの撤退計画に抗議し、ベニヤミン・ネタニヤフが財務相を辞任。(8.7)

2005年 全入植地の撤収が終わり、ガザ地区撤退が完了する。21の入植地から計8000人のユダヤ人がガザから撤退した。(9.12)

2006年 ガザの地下トンネルを通ってイスラエル領内へ侵入した複数のパレスチナ人テロリストが戦車を攻撃し、兵士2名が死亡しギルアド・シャリート兵士が拉致される。(6.25)

2008年 ハマスは停戦を破棄し毎日数十発のロケット砲撃を行なったため、イスラエルがガザ攻撃を本格的に開始しガザ戦争が勃発。約3週間戦闘が続いた。(12.27)

2009年 イスラエルが一方的休戦を宣言、ハマスは迫撃砲による攻撃をその後も1日弱続けたがその後ハマスも休戦を宣言し、ガザ戦争が終結する。(1.18)

2009年 イスラエルが1月にスーダンで車列を爆撃していたとの報道。イランが大量の武器をスーダン経由でガザ地区に密輸入しようとしていたもよう。(3.26)

2009年 2006年に拉致されたギルアド・シャリートの生存を証明したビデオと引き換えに、イスラエルがガザの囚人20人を解放。(10.2)

2010年 ガザ行き船団急襲事件 イスラエル・エジプトの海上封鎖をかいくぐり、トルコを出港した親パレスチナ団体の船団がガザ上陸を試みる。イスラエル海軍との交戦になり活動家9人が死亡した。(3.31)

2011年 トルコからガザに向う船舶ビクトリア号をイスラエル海軍が拿捕。船から対艦ミサイルやロケットランチャーなどの最新の武器50トンが発見された。(3.15)

2011年 ミサイル迎撃システム「アイアンドーム」が初めてガザからのロケット弾の迎撃に成功。(4.7)

2012年 ガザのハマスとイスラエルの間で緊張が高まり大規模な交戦が5日間続く。ガザからは300発以上のロケット弾が撃ち込まれ23人のイスラエル民間人が負傷、イスラエル軍も報復としてハマス関連施設の空爆を行い民間人5人を含む23人が死亡した。(3月)

2012年 約1週間の「雲の柱」(守りの柱)作戦。ガザから撃たれたロケット砲は数百発、イラン製と見られる一部のミサイルは、エルサレムとテルアビブにも到達した。(11.14〜21)

2012年 ハマスの政治部トップ、ハーリド・マシャールがハマス結成25周年の式典に出席するため初めてガザ地区を訪問。数十万人の民衆の前で、イスラエルと妥協はせずイスラエルの地にイスラム教国設立を目指すと演説をした。(12.8)

2014年 前月の誘拐殺人とその後のガザからのロケット攻撃を受け、イスラエルは「不動の絶壁作戦(英語では Protective Edge 境界防衛作戦)」を開始。(7.8)




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