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パレスチナ

Palestine 明確な境界は無いが、現在イスラエルとなっている地域の総称。ローマ帝国がユダヤ人の反乱を鎮圧後、ユダヤやイスラエルと全く無関係な名称として採用した。

17軍
Force 17 フォース17 アラファト議長の親衛隊とも言われる軍事勢力で、2000年からのアルアクサ・インティファーダで大きな役割を演じた。アラファト死後2006年に解体され、パレスチナ治安部隊に吸収された。
A地区
Area A 西岸地区のうち、完全にパレスチナ自治政府の管理下にある地域。
B地区
Area B 西岸地区のうち、行政はパレスチナ自治政府の管理下にあるが警察権はイスラエルの管轄下にある地域。
DFLP
Democratic Front of Liberating Palestine パレスチナ解放民主戦線。PLO中でも小規模な反主流派グループで、強硬路線を主張する。
PFLP
Popular Front of Liberating Palestine パレスチナ解放人民戦線。PLO反主流派で、過去はシオニスト国家の存在を否定する強硬派で2001年10月のゼエビ観光相暗殺事件を実行した。近年は軟化し2国共存を受け入れたが未だオスロ合意には反対の立場を取り、そのためPLOの実行委員会には参加していない。
PLO
パレスチナ解放機構。当初はアラブ諸国が結成したが、後にアラファト議長によりパレスチナ人主体の組織となり、現在の自治政府を組織している。
PNC
パレスチナ民族評議会 パレスチナの国会に当たる議会。
UNRWA
United Nations Relief Work Agency 国連の難民救援機関。パレスチナの各地で活動を行うが、この機関の施設や車をテロ組織が武力闘争に使用していると指摘されており、2014年のガザ作戦ではUNRWAからの支援物資が密輸・テロリスト侵入のためのトンネル建設に利用されている事が分かった。
アブ・ディス Abu
Dis エルサレム近郊のパレスチナ人の町。現在B地区になっており、パレスチナ自治政府関連の庁舎が90年代から数多く建てられた。2000年代前半に分離壁が建設されると、町とエルサレム間の往来が少なくなっていった。
アラブ系市民
イスラエルの国籍を持つアラブ人のこと。心情的にはパレスチナを支持するが、将来パレスチナ国家が出来た場合に、パレスチナ市民になることには反対している。イスラエル国家に反対の意見も多く、イスラエルのかかえる矛盾の一つ。
アラファト
Yassir Arafat ヤッサー・アラファト ヤセル・アラファト アラファート PLO議長。パレスチナの最高指導者だったが、2004年11月に病死したが、今でも信奉者は多い。
アルカイダ
オサマ・ビンラディン率いるテロリスト集団で、しばしばパレスチナ問題に言及する。ガザ地区にアルカイダ系のテロ組織が2つあるが、対イスラエルの姿勢を若干軟化させたハマスとは対立関係にあり、大きな組織は持っていないもよう。
イドリス
パレスチナ人として最初の女性自爆テロリスト。2002年にエルサレムで自爆した。
エルサレム
Jerusalem エルシャライム イスラエルとパレスチナが共に首都だと主張している。人口約80万人でイスラエル第1の都市で、ユダヤ人が50万近くで多数派だが、アラブ人も東エルサレムを中心に30万人ほどいる。
オスロ合意
Oslo Agreement 1993年8月にオスロで成立した合意で。イスラエルとパレスチナが相互の存在を承認した上、ガザとエリコで暫定自治を開始し、最終地位交渉に至る道筋が定まった。
ガザ
Gaza Strip ガザ地区/回廊などと言われる地域。もとエジプト領だったがエジプトが領有権を放棄し、将来のパレスチナ国家として自治政府の支配下に入った。イスラエルが2005年夏に入植地を全て撤去した後、ハマスの勢力が強まり、2007年夏の軍事クーデターでハマスの実効支配下に入った。人口約200万人弱。
カッサム
Kassam パレスチナが2002年から多用しているロケット砲。射程は6〜10キロと言われる。大きな破壊力は無いが、警報が出ると避難しなければならないため、市民生活に重大な支障が出る。
カハ
Kach ユダヤ人過激派で、パレスチナ人へのテロ行為を支持する団体。マクペラの洞窟でテロを行った、ゴールドスタインもカハのメンバー。
ギロ地区
エルサレム市内南部にある住宅地。2000年秋からの紛争でパレスチナからの銃撃にさらされ、話題となった。
行程表
Roadmap 和平ロードマップ 和平行程表 米国とカルテット主導2002年にで作成され、2003年に双方が承認した和平に至る道筋。パレスチナ暫定国家設立を経て、二国家共存に至る道筋を示す。
サマリア人
Samaritan サマリヤ人 紀元前のバビロン補囚時代にパレスチナに残存していた北朝の生き残り。古代ユダヤ教の伝統を今に伝えている。現在、パレスチナ側のシュケム(ナブルス)近くのゲリジム山やイスラエル側のホロンなどに800人ほどの人口を持つ。
最終地位
Final Status イスラエルとパレスチナ国家が完全に正常化された後の状態についての交渉。国境線確定、エルサレムの帰属、難民問題など難問が山積している。
シャルム・エルシェイク
(シャルムアッシャイフ Sharm el Sheik)またはシャルムエルシェイク シナイ半島南端に近い保養地で、エジプトとイスラエル、パレスチナの首脳会談の場所としてよく用いられる。2000年代中盤にイスラエル人を標的にしたテロが頻発するまではイスラエル人観光客も多く訪れていた。
シャリート
2006年6月にガザで誘拐された国防軍兵士。約5年にも及ぶ交渉の末、2011年10月に解放されたがイスラエル側は引き換えに1027人のパレスチナ人テロリストや政治犯などを釈放したため、国内でも賛否両論を呼ぶ議論となった。
ジュネーブ合意
2003年12月に野党議員らが中心になってパレスチナ自治政府の関係者とまとめた和平案。シャロン首相が激しく反発し、アラファト議長も明確に支持なかったため、実施には至っていない。捕虜の扱いなど交戦規定を定めたジュネーブ条約(ジュネーブ協定)とは別物。
ジェニン虐殺
2002年4月、イスラエル国防軍の侵攻により起こった激しい戦いで、パレスチナ側に50人、イスラエル側に20人以上の犠牲者が出た。しかし、パレスチナはイスラエルが民間人500名を「虐殺」したと発表した。アラブメディアの誇大宣伝の例。
ジェニン
西岸地区の北端の町。2002年4月、ジェニンの難民キャンプで激しい戦いがあり、パレスチナが「ジェニン虐殺事件」と宣伝したことで有名。
ジェリコ
エリコ イェリホ 死海の北にある町。旧約聖書ヨシュア記に、イスラエル人が最初に征服した町として登場するが、現在はパレスチナ自治区となっている。
自治警察
パレスチナ人自治の発足と同時に設置された。多くの武器を与えられ、テロ組織を取り締まる任務を与えられたが、2007年、ガザではハマスに敗北し支配権を奪われた。
自治政府
PA Palestinian Authority パレスチナ自治政府オスロ合意にもとづく自治により設置された。統一国家としての独立を目指して法律や組織を準備していたが、2007年にパレスチナはハマスガザファタハ西岸地区に分裂した。2012年11月国連によりオブザーバー組織からオブザーバー国家に格上げされた。
少数民族
イスラエル人パレスチナ人がイスラエル人口の大半を占めるが、他にベドウィン、チェルケス、ドルーズ人、また、ユダヤ系のサマリア人カライ派などがいる。
スンニ派
スンナ派 Sunni イスラム教の90%を占める最大の宗派。シーア派とは違い、イスラム世界の指導者は必ずしも世襲される必要はないと考えている。エジプト、サウジアラビアなど、いわゆる穏健派諸国はスンニ派で実はパレスチナ人もスンニ派が大半となっている。
西岸地区
The West Bank ヨルダン川から西、東エルサレムまでの地区で、六日間戦争でイスラエルが占領した。パレスチナ国家が出来れば大部分は返還されることになるが、内部には多数のユダヤ人入植地がある。人口は約150〜200万人。A地区C地区を参照。
扇動
Incitement 扇情的な宣伝行為。パレスチナでは「アッラーの敵であるユダヤ人を殺せ!」等の過激な宣伝や、自爆テロリストを英雄視する放送が恒常的に繰り返されている。イスラエルの右派や超正統派扇動だと非難を受けることが多い。
ナクバ
Al-Nakba 破局、破滅の意 イスラエル独立戦争の開始をパレスチナ人が指して言う言葉。ユダヤ人ユダヤ暦により記念するが、パレスチナ人は西暦により5月15日に抗議行動を行う。そのため、独立記念日とは日が異なる。
難民帰還問題
イスラエル建国時などにイスラエルに留まらず避難した人々をパレスチナ難民と言う。レバノンや西岸地区などに難民キャンプがあるが、現在ではかなり人口が増えているため、帰還は実質的に不可能で、最終地位交渉の難問となっている。
ネツァリーム
Netzarim ガザ入植地で、パレスチナ地区の中に飛び地になっていたが、2005年夏に撤去された。
ハニエ
(ハニヤ)イスマイル・ハニエ ハマスガザ指導者でありガザ政府首相(1963年生)。2007年まではパレスチナ統一政府の首相を務めたが、2007年のハマス・ファタハの抗争により解任されガザ・ハマスの首相となった。就任時に「これ以上血を流す事は望まない」と演説するなど、ハマスの中では穏健派とされる。
ハマス
Hamas パレスチナ過激派で、武力によるイスラエル殲滅を目指している。多くのテロがハマスにより起こされた。貧民救済などの政治活動も行っている。現在は政府という立場を取っているため、近年は国際社会に向けて堂々と「イスラエル殲滅」という言葉は使わないなど軟化している部分もある。本部はガザ、ドーハの2カ所。
バルグティー
Marwan Barghouti ファタハ指導者で元々は穏健派としてアラファト議長と対立関係にあった。しかし第2次インティファーダで中心的な指揮官となり、イスラエルに対する数々のテロを指揮し過激派となった。2002年4月に逮捕されイスラエルの裁判で終身刑の判決を受け現在収監中。穏健派だった過去からバルグティーパレスチナの重要な交渉相手として、釈放するべきだという声もイスラエル左派内には根強くある。そのためバグルティーと親交のあるユダヤ系大物政治家も多い。
パレスチナ人
Palestinians イスラエル独立前からパレスチナに居住していたアラブ民族。パレスチナ人が旧約聖書に出てくる「ペリシテ人」の子孫との説が有るが、一般的には認められていない。
ビルザイト大学
ベツレヘム大学とともにパレスチナ(=西岸地区)の2大大学。比較的リベラルとされているが、2015年の生徒自治会選挙ではハマス系が圧勝するなど過激化が進んでいる。
東エルサレム
旧市街を含むエルサレムの東にあるアラブ人地区のこと。この地域に住むパレスチナ人は、イスラエル国籍は無いものの、イスラエル国民と同等の社会福祉や行動の自由が与えられている。
ファタハ
Fatah イスラム過激派で、パレスチナ解放機構(PLO)の中心的グループ。オスロ合意を受け入れ、イスラエルとの共存を目指す路線を選択した。指導者のアラファト議長の死後、アッバス議長が引継いでいる。
武器密輸トンネル
ハマス政府やイスラム過激派によって建設されたガザ・イスラエル間のトンネル。2005年のガザ撤退以降に急増し、約60本ほどが通っており密輸の他にテロリストの密入国などに利用されている。2014年のガザ作戦(不動の絶壁作戦)ではUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)からの資材がトンネル建設に転用されていた事なども発覚した。
ヘブロン
Hebron エルサレムから南に30キロばかりの所にある町。アブラハムなど父祖たちの墓「マクペラの洞窟:Cape of Macpellah 」がある。大部分の住民(16万人)はパレスチナ人だがユダヤ人入植者も約750人ほどいる。
ベイト・ジャラ
ベツレヘム近郊の村。パレスチナ人地区(A地区)にあたる。2000年秋からの紛争でエルサレムギロ地区に対する銃撃拠点に使われたため、反撃砲火を受け多数の死傷者が出た。同村はクリスチャンの村だが、攻撃を行ったのは外部の人間。
ベツレヘム
イエス・キリストが生まれた事で有名な約人口3万人のパレスチナ西岸地区の町。エルサレムからはアラブ・バスで約20分と日帰り旅行が気軽にできる。
民間人
civilian 非戦闘員を指すが、パレスチナ武装勢力やヒズボラの場合は、民兵組織的なものであり、戦闘になると軍服を脱ぐため、誰が戦闘員かは判然としない。
ユダヤとサマリヤ
Judea and Samaria 現在の西岸地区に当たる。旧約聖書の舞台となったこの地区に住もうとして入植する人々と、それを推進する政策によりパレスチナ人との間で紛争が起こっている。ちなみに、現在のイスラエルは、大半が聖書時代のペリシテ人の居住地に当たる。

【年表】

前330年 アレキサンダー(アレクサンドロス)大王のパレスチナ征服

前323年 プトレマイオス朝のパレスチナ支配はじまる

前 63年 ポンペイウスがエルサレムを占領。パレスチナはローマの属州となる

 135年 ローマが反乱を鎮圧し、イスラエルをパレスチナと、エルサレムをアエリア・カピトリーナと改称。またユダヤ人はエルサレムをはじめユダヤの地から追放される。

1291年 マムルーク朝が十字軍を倒しパレスチナを支配

1516年 オスマン帝国がシリア・パレスチナを征服

1869年 ロスチャイルド家の援助のもとに初めてパレスチナにユダヤ人開拓村誕生

1881年 エリエゼル・ベン・イェフダがパレスチナに移住してヘブライ語復興運動を開始

1882年 東欧での迫害のため、最初のユダヤ人移民がオスマン帝国領パレスチナに入植。

1897年 第1回シオニスト会議がパレスチナでの「ユダヤ民族郷土」建設などを定めたバーゼル綱領を採択。

1905年 第7回シオニスト会議でパレスチナ移住を決定

1916年 寝返ったアラブ軍とイギリス軍がシリア・パレスチナ方面へ進撃開始(6月)

1920年 サン・レモ会議、シリアの分割とパレスチナに対するイギリスの委任統治決定(4月)

1922年 国際連盟、イギリスのパレスチナ委任統治とバルフォア宣言を承認(7・24)

1933年 ドイツでナチスが政権を獲得。この結果、パレスチナヘのユダヤ人移民急増。

1936年 独立国家を求めるパレスチナ・アラブ人の反英・反シオニスト・ゼネスト。

1937年 イギリスのピール調査委員会がパレスチナ分割を提案(7月)

1942年 二ユーヨークでのシオニスト会議で、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を正式決定(5月)。

1945年 第2次世界大戦終わる。パレスチナでユダヤ人移民の対イギリス反乱激化(10月〜)

1947年 国連総会でパレスチナ分割決議(11・29)

1948年 イスラエル独立宣言(5・14)イギリスのパレスチナ委任統治終る。独立戦争(第一次中東戦争)(〜49年)

1964年 パレスチナ解放機構(PLO)設立(6月)

1967年 六日間戦争あるいは六月戦争(第三次中束戦争)6月5日から始まった戦争でイスラエルは東エルサレムをふくむ全パレスチナとシナイ半島、ゴラン高原を占領。

1969年 カイロ秘密協定。パレスチナ人は南部レバノンからの対イスラエル作戦を認められる(2月)。

1970年 パレスチナ人が連続航空機乗つ取り(9月)

1970年 ヨルダン王国軍が、パレスチナ人を攻撃。「黒い9月」事件。2年でパレスチナ人部隊はヨルダンから追放される。

1974年 PNC(パレスチナ国民評議会=PLOの最高議決機関)がパレスチナ問題の「政治的解決」の方向を打ち出す(6月)

1974年 ラバトでアラブ首脳会議、PLOをパレスチナ人民の唯1正当な代表と認める(10月)

1974年 国連総会がパレスチナ人の民族自決権を認め、PLOに国連オブザーバーの資格を与える(2月)。

1975年 ファランジスト党(レバノンの国粋主義者)民兵がパレスチナ人のバス銃撃、レバノン内戦が始まる(4月)。

1977年 PLO駐日東京事務所(後にパレスチナ常駐総代表部)開設(2月)

1978年 イスラエル軍、レバノン南部に侵攻、パレスチナ人部隊と激戦(3月〜6月)

1981年 サウジアラビアのファハド国王がパレスチナ国家樹立の提案(8月)

1982年 イスラエル軍の西ベイルート占領下で、レバノン右派民兵がパレスチナ人を虐殺(9月)。

1985年 レバノンでシーア派民兵「アマル」がパレスチナ・キャンプを攻撃開始(5月)

1988年 追放されたパレスチナ人を乗せてイスラエル上陸予定の「帰還の船」爆破される(2・15)

1988年 アルジェでのPNCで「パレスチナ国家独立宣言」、正式にイスラエルとの共存路線を打ち出す(11・15)

1990年 5月10日にテルアビブ郊外でイスラエル人青年がパレスチナ人労働者を乱射し7人が即死。これをきっかけに数日間の騒乱が続き死者20人、負傷者千人以上。

1990年 武装パレスチナ人の高速艇によるイスラエル上陸作戦、イスラエル軍に阻止される(5・30)

1990年 東エルサレムでユダヤ教徒とイスラム教徒のパレスチナ人が衝突し、22人が死亡、150人以上が負傷(10・8)国連安全保障理事会はイスラエル非難決議(10・12)

1992年 アメリカ国務省で、イスラエルとパレスチナ代表団の初交渉(1・13)

1992年 ハマスがイスラエル国境警備隊員を誘拐・殺害(12・15)イスラエルは報復として400人以上のパレスチナ人を南レバノンヘ追放(12・17)

1995年 カイロで、イスラエル、パレスチナ、エジプト、ヨルダンの首脳会談が開かれ、和平交渉を進展させることなどで合意(2・2)

1995年 西岸地区主要都市部からのイスラエル軍撤退とパレスチナ自治評議会選挙の実施などを決めた、自治拡大協定「オスロ2」にワシントンで調印(9・28)

1996年 「オスロ2」によりパレスチナで選挙が行われ、88人のPNC議員と大統領にアラファト議長が当選(1・20〜21)

1996年 PNC(パレスチナ国民評議会)でパレスチナ国民憲章からイスラエル破壊条項を削除(4・24)

1996年 中東・北アフリカ経済会議が閣僚級によりカイロで開幕。パレスチナ和平での「領土と平和の交換」の原則を確認するカイロ宣言を採択(10月)

1997年 イスラエルとパレスチナ自治政府が和平交渉再開で合意(7・28)

1997年 汚職を理由にパレスチナ自治政府全閣僚の解任を求める決議をPNCが採択(7・31)

1997年 オルブライト米国務長官とイスラエルのレビ外相、パレスチナ自治政府のアッバス氏がニューヨークで会談。和平交渉促進を目指す会議を10月中旬にワシントンで開くことで合意(9・29)

1997年 モサド工作員がヨルダンでハマス幹部暗殺に失敗しヨルダン政府に拘束された。イスラエルは工作員の身柄と交換するためハマスの霊的指導者ヤシン師らパレスチナ人政治犯20人を釈放。(10月)

1998年 クリントン米大統領はネタニヤフ首相、アラファト議長とそれぞれ会談。オスロ2にもとづく撤退実施が焦点となったが、大統領提案の12〜13%に対しネタニヤフ首相は9.5%以下、パレスチナ側は約3割以上を求めたため決裂(1月下旬)

1998年 ヘブロンで国防軍兵士が発砲し、パレスチナ人3名が死亡。(3月)

1998年 パレスチナ難民発生50年を記念する「ナクバの日」に国防軍とパレスチナ人が衝突し、パレスチナ人に8名の死者。400人の負傷者が出た。(5・15)

1998年 占領地からの13%の追加撤退提案を、パレスチナもイスラエルも評価。和平交渉が再開へ。(8・25)

2000年 ラマラに誤って入った2人の国防兵がパレスチナの暴徒によりリンチされ死亡。死亡後、遺体はバラバラに切断された。ラマラ・リンチ事件(10.12)

2001年 エジプト・シナイ半島の保養地タバでイスラエル・パレスチナ間のサミットが行われるが、イスラエル総選挙により中断した。(1月)

2002年 西岸地区にてイスラエル国防軍が「防御壁作戦」を開始。約1月間の作戦でイスラエル側29人、パレスチナ側497人の死者を出す。(3.29)

2003年 イスラエルはパレスチナ人の政治犯やテロリストなど囚人約100人を釈放。(6.3)

2003年 イスラエル空軍がシリア南部のパレスチナ人の軍事基地を攻撃。73年のヨム・キプール戦争依頼30年ぶりにイスラエルとシリアが軍事衝突。(10.5)

2004年 拉致・殺害された国防軍兵3名の遺体と引き換えに、パレスチナ人囚人約400人とレバノン人囚人約100人が釈放されヒズボラに輸送された。(1.29)

2005年 イスラエルがパレスチナ囚人約500人の釈放に応じる。(2.21)

2005年 イスラエルがエリコをパレスチナに譲渡。以降パレスチナ自治政府による統治となる。(3.16)

2006年 ガザの地下トンネルを通ってイスラエル領内へ侵入した複数のパレスチナ人テロリストが戦車を攻撃し、兵士2名が死亡しギルアド・シャリート兵士が拉致される。(6.25)

2009年 ローマ教皇ベネディクト16世がイスラエルとパレスチナを訪問。(5.10〜11)

2009年 ネタニヤフ首相がバル・イラン大学で演説しパレスチナ国家を認め2国共存について初めて言及。(6.14)

2010年 ガザ行き船団急襲事件 イスラエル・エジプトの海上封鎖をかいくぐり、トルコを出港した親パレスチナ団体の船団がガザ上陸を試みる。イスラエル海軍との交戦になり活動家9人が死亡した。(3.31)

2010年 アメリカが主導となりイスラエル・パレスチナ間の和平交渉が始まる。(9月)

2011年 エジプトとの国境部でパレスチナ系を含むイスラム過激派がイスラエルの民間人を含む8人を殺害。イスラエル軍の応戦により過激派10人とエジプト軍兵士5人も死亡した。(8.8)

2011年 イスラエル・ハマス間の大規模な人質交換が行われる。イスラエル側はギルアド・シャリート兵士と引き換えに1027人のパレスチナ人囚人を解放した。(10.18)

2012年 和平交渉の再開をパレスチナ側に働きかけるため91人の自爆テロリストの遺体をパレスチナ側に返還。(6月)

2012年 パレスチナ国が国連総会にてオブザーバー組織から「オブザーバー国家」に格上げされる。(11.29)

2013年 アメリカのオバマ大統領がイスラエル・パレスチナを4日間の日程で訪問。(3.20)

2014年 入植地で3人の少年がパレスチナ人テロリストにより誘拐・殺害される。(6.12)

2014年 イスラエル・ハマス間で休戦協定が結ばれ、戦争が集結。パレスチナ側の死者2200人、イスラエル側は72人の死者を出した。(8.26)

2014年 パレスチナ人テロリスト2人が西エルサレムのシナゴグに入りユダヤ人6名を殺害。(11.18)

2016年 テル・アビブ中心部でパレスチナ人テロリストによる乱射事件が発生。3人の死者と10人の負傷者が出た。(1.1)

2016年 神殿の丘とユダヤ人の関係を無視する決議をユネスコが採択。パレスチナは勝利宣言を出した。(10.13)




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