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エルサレム
Jerusalem エルシャライム イスラエルとパレスチナが共に首都だと主張している。人口約80万人でイスラエル第1の都市で、ユダヤ人が50万近くで多数派だが、アラブ人も東エルサレムを中心に30万人ほどいる。
アエリア・カピトリーナ
Aelia Capitolina 2世紀にユダヤ人の反乱後、ユダヤ色を払拭するためローマがエルサレムにつけた名称。アエリアは反乱を鎮圧した皇帝ハドリアヌスの家名、カピトリーナはローマのカピトリヌスの三神からつけられた。アブ・ディス Abu
Dis エルサレム近郊のパレスチナ人の町。現在B地区になっており、パレスチナ自治政府関連の庁舎が90年代から数多く建てられた。2000年代前半に分離壁が建設されると、町とエルサレム間の往来が少なくなっていった。イスラム聖戦
Islamic Jihad ハマス同様ムスリム同胞団系の過激派だが、イスラエル・ハマス政府間による一時的休戦期間中もイスラエルに対するロケット攻撃の手を緩めないなど、軟化したハマスとは一線を画している。2012年の軍事作戦ではテル・アビブとエルサレムにイラン製弾道ミサイルを撃ち込むなど、イランとシリアが主な資金源/バックだと考えられている。イドリス
パレスチナ人として最初の女性自爆テロリスト。2002年にエルサレムで自爆した。エルサレム・ポスト
Jerusalem Post 英語・仏語で発行されているイスラエルの日刊紙。報道姿勢には、右翼的な傾向がある。エルサレム記念日
エルサレム・デー Jerusalem Day 六日間戦争でイスラエルが西壁を含む旧市街を占領した日。オルマート
(オルメルト)Ehud Olmert エルサレム市長からリクード議員を経てカディマに入り、シャロン氏の後を継いで首相となった。第二次レバノン戦争、2008年末からのガザ侵攻作戦を指揮した。汚職事件で2008年夏に辞任し、2015年に有罪が確定し2016年2月から18年の禁固刑に処され初めての首相経験者として収監されている。カスパリセンター
北欧のクリスチャンによって運営されているメシアニックの研究・支援組織。エルサレムのヨッパ(ジャッファ)通りに事務所がある。ギロ地区
エルサレム市内南部にある住宅地。2000年秋からの紛争でパレスチナからの銃撃にさらされ、話題となった。最終地位
Final Status イスラエルとパレスチナ国家が完全に正常化された後の状態についての交渉。国境線確定、エルサレムの帰属、難民問題など難問が山積している。シオン
エルサレム、もしくはその一部の古名。エルサレムには、シオン山、シオン広場などの地名がある。英語では ZION となるため「ザイオン」と発音し、シオニズムも「ザイオニズム」という。広い意味でイスラエル全体を指して使う人もいる。シャロン
(アリエル・シャロン)Ariel Sharon 2001年からイスラエル首相。2000年に神殿の丘を訪問し、それがきっかけとなって一気に紛争が広がった。タカ派で知られたが、一方的分離政策を実施した。2006年1月、脳出血で倒れ、そのまま植物状態になったが8年後の2014年1月に死去、エルサレムで追悼式が行われた。死海
Dead Sea イスラエルとヨルダン国境にある世界で最も低い塩湖。水面は海面下400mで、地上では最も海抜が低い。濃い塩分のため泳がなくても体が浮く。晴れた日にはエルサレムから死海が見える。年々蒸発・死海産業などによる水面低下とそれにより、干上がってしまうのではと危惧されている。聖墳墓教会
Church of the Holy Sepulcher エルサレム旧市街にあるイエスの墓所、ゴルゴタの丘とされる場所。カトリック、コプト教会などが分割管理している。ベツレヘムの聖誕教会とともに4世紀、コンスタンティヌス大帝によって建てられた。西岸地区
The West Bank ヨルダン川から西、東エルサレムまでの地区で、六日間戦争でイスラエルが占領した。パレスチナ国家が出来れば大部分は返還されることになるが、内部には多数のユダヤ人入植地がある。人口は約150〜200万人。A地区〜C地区を参照。園の墓
エルサレム新市街にあり、英国のゴードン司令官が1883年にイエスの墓所だと言った場所。プロテスタントが守っていて、グループで行けば礼拝などを行うことができる。タルムード
Talmud 紀元後に数回にわたって編纂された法典とその注解書で、ユダヤ人にとってはトーラーと同じ権威があるものとされている。 イスラエルからのエルサレム・タルムードと、バビロニア・タルムードの2つがあるが後者の方が権威あるものと考えられている。ダビデ
David 古代イスラエルの王で、エルサレムを首都に定めた。テルアビブ
Tel Aviv イスラエル独立が宣言された町で、LGBTの大規模なパレードが町単位で行われるなど、中東随一のリベラルな国際都市。人口はエルサレムに次ぐ2番目の都市だが(約43万人)、周辺の街とともに構成されるダン都市圏は約370万人とイスラエル人口の半分になる。デイル・ヤシン村の虐殺
独立直前の1948年に発生した事件で、エルサレムのユダヤ人をアラブ軍が包囲したため、封鎖拠点の一つとなっていたデイル・ヤシン村をイルグンとレヒの特攻隊が攻撃したが、村民に多数の犠牲者が出た。ユダヤ側は直ちに謝罪声明を出したが、アラブ側は後々までこの事件を政治宣伝に利用した。入植地
Settlement 西岸地区やガザに点在するユダヤ人の居住区のこと。鉄条網で囲まれ兵士に警備されたまるで要塞のような入植地もあるが、エルサレム近郊など普通の町と変らないような地区もある。東エルサレム
旧市街を含むエルサレムの東にあるアラブ人地区のこと。この地域に住むパレスチナ人は、イスラエル国籍は無いものの、イスラエル国民と同等の社会福祉や行動の自由が与えられている。ヘブライ語
ヘブル語 Hebrew 旧約聖書が書かれた言葉。エリエゼル・ベンエフダ(ベンイェフダ)が様々な語彙を追加して現代へブライ語として復活させた。エルサレム中心部の繁華街は、彼の名前がついている。ヘブロン
Hebron エルサレムから南に30キロばかりの所にある町。アブラハムなど父祖たちの墓「マクペラの洞窟:Cape of Macpellah 」がある。大部分の住民(16万人)はパレスチナ人だがユダヤ人入植者も約750人ほどいる。ベイト・ジャラ
ベツレヘム近郊の村。パレスチナ人地区(A地区)にあたる。2000年秋からの紛争でエルサレムのギロ地区に対する銃撃拠点に使われたため、反撃砲火を受け多数の死傷者が出た。同村はクリスチャンの村だが、攻撃を行ったのは外部の人間。ベツレヘム
イエス・キリストが生まれた事で有名な約人口3万人のパレスチナ西岸地区の町。エルサレムからはアラブ・バスで約20分と日帰り旅行が気軽にできる。ベイトシェメシュ/ベテシメシ
エルサレムとテルアビブの中間にある。2000年代から超正統派が移住し始め急激な人口増加が起き、現在ではベイト・シェメシュの約半分が超正統派になり超正統派の市長が生まれ超正統派に合った宗教政策が続き問題となっている。ベンイェフダ通り
ベンエフダ通り。イスラエル各地にベンイェフダを記念した通りがあるが、特にエルサレムでは繁華街として有名。マアリブ
マーリブ イスラエルの新聞の一つで名前の意味は「夕べの祈り」。1948年の創刊以後、50〜60年代はイスラエル一の発行部数を誇ったが次第に衰退。2014年、エルサレム・ポストに買収された。メア・シャリム
Meir Sharim 超正統派の人々が集まって住んでいるエルサレムの地区。安息日には道路が閉鎖される。特にアシュケナジー系の超正統派が多く、サトマルやネトゥレイ・カルタなど反シオニズムを掲げイスラエル国の存在自体に強く反対しているグループも多く住んでいる。 メア・シェアリームとも。ユダヤ三大祭
過越の祭、五旬節、仮庵の祭のこと。エルサレムへの巡礼が義務付けられていた。申命記16章16節参照。ヨッパ通り
エルサレムの中心部にある大通り。現在はトラムが通っている。ジャッファ通りとも。ラマラ
Ramala エルサレムの北にある西岸地区の町。自治政府の本拠地で議長府がある。歴史的にはアラブ・クリスチャンの町であったが現在は人口約30万人のうちの大部分がイスラム教徒である。
【年表】
前997年 ダビデがエルサレムをイスラエルの首都と定める
前203年 セレウコス朝のアンティオコス3世がエルサレムを占領
前 63年 ポンペイウスがエルサレムを占領。パレスチナはローマの属州となる
48年 エルサレム会議(新約聖書使徒言行録15章)パウロの第二回伝道旅行
70年 ローマ(のちの皇帝ティトゥス)がエルサレムを破壊。離散(ディアスポラ)時代始まる。
135年 ローマが反乱を鎮圧し、イスラエルをパレスチナと、エルサレムをアエリア・カピトリーナと改称。またユダヤ人はエルサレムをはじめユダヤの地から追放される。
390年 この頃エルサレム・タルムードが完成
638年 エルサレムがイスラム帝国の支配下に入る
1099年 十字軍がエルサレムを占領(〜1291年まで)
1834年 ツファット・ヘブロン・エルサレムでイスラム教とドゥルーズ派によりユダヤ人迫害が行われる
1917年 アレンビー将軍率いるイギリス軍がエルサレムを占領(12月)
1967年 六日間戦争あるいは六月戦争(第三次中束戦争)6月5日から始まった戦争でイスラエルは東エルサレムをふくむ全パレスチナとシナイ半島、ゴラン高原を占領。
1980年 イスラエルが、エルサレム(東を含む)を永久の首都と決定(7・30)
1990年 東エルサレムでユダヤ教徒とイスラム教徒のパレスチナ人が衝突し、22人が死亡、150人以上が負傷(10・8)国連安全保障理事会はイスラエル非難決議(10・12)
1995年 エルサレム市内で通勤バスが爆破され、6人が死に100人以上が負傷する(8・21)
1995年 アメリカ議会が、駐イスラエル大使館のエルサレムヘの移転を求める法案を可決(10・24)
1996年 エルサレムとテルアビブの市街地で連続自爆テロがあり、計60人が死亡。いずれもハマスが犯行声明を出した。(2〜3月)
1996年 エルサレム旧市街の地下を通る西壁のトンネルを開通。これに関連した衝突で70人の死者(9・24)
1997年 イスラエルは2月、東エルサレム南部の入植地「ハル・ホマ」建設計画を発表。国連は、この計画中止要求を圧倒的多数で決議した。これをきっかけに和平は中断(3・13)
1997年 エルサレムの市場で連続自爆テロがあり、13人死亡、157人が負傷(7・30)
1997年 エルサレムで連続爆弾テロがあり犯人を含む8人が死亡、200人近くが負傷した。ハマスが犯行声明(8・4)
1998年 エルサレムで大雪(1・12)
1998年 エルサレム市域の拡張を閣議決定。(6・21)
1998年 エルサレム市域拡張問題で、国際的非難が高まり、国連安保理が議長声明でイスラエルを非難。(7・13)
1998年 エルサレムで爆弾テロ未遂事件(7・19)
1999年 エルサレムにてユーロビジョンが開催(5.29)
2001年 エルサレムのピザチェーン店スバーロにて自爆テロ。7人の子供や妊婦1人を含む15人が死亡、130人のけが人が出た。(8.9)
2011年 国内初のトラム(路面電車)がエルサレムで開通。(8.19)
2012年 約1週間の「雲の柱」(守りの柱)作戦。ガザから撃たれたロケット砲は数百発、イラン製と見られる一部のミサイルは、エルサレムとテルアビブにも到達した。(11.14〜21)
2013年 イスラエルで記録的な大雪。エルサレムでは40−70cmの積雪量が観測され、数日間にわたり町が機能停止に陥った。(12.13)
2014年 エルサレムに約50万人の超正統派が終結し、超正統派の徴兵に反対するデモが行われる。(3.2)
2014年 パレスチナ人テロリスト2人が西エルサレムのシナゴグに入りユダヤ人6名を殺害。(11.18)
2015年 エルサレムを中心に民間人を標的にしたテロが散発し、28人が死亡400人が負傷する。(9月〜)
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●検索のヒント
・検索は全角文字でお願いします。完全一致検索のみで、あいまい検索はありません。
・文字列1〜3の全てに該当するものだけを表示します。例:文字列1=「エルサレム」 文字列2=「自爆」 文字列3=「死」
・最後の送り仮名などは省いて下さい。例:過ぎ越し → 過越
・別の表記も試しましょう。例:トルカレム → ツルカーム
・中黒点のあるものは、文字列を分ける。例:ベン・エリエゼル国防相 → 文字列1=「ベン」文字列2=「エリエゼル」
・別のキーワードで試す。例:民族宗教党 → 宗教政党で検索する。